ウィーンのお菓子とお菓子屋さん「ホテル ザッハー」


「オリジナル・ザッハートルテ」はホテル・ザッハーの独占販売

ウィーンには洋菓子製造販売を専門としているコンディトライのほかに、自家製のケーキで有名なホテルやカフェハウスもあります。例えばホテル・ザッハー。このホテルの名前がついたザッハートルテはすでにチョコレートケーキの代名詞になって、ウィーンのお菓子を語る上で欠くことができません。

このケーキが生まれたのは、オーストリア宰相をつとめたメッテルニヒの命令からでした。メッテルニヒといえばウィーン会議の立役者として名高い人物ですから、その連想が先走ったのか、もっともらしい話に仕立てたのか、”ザッハートルテは、毎晩のように舞踏会や晩餐会が続き「会議は踊る、されど進まず」といわれたウィーン会議のために、新たに作り出されたケーキ”と一部でまことしやかにいわれています。しかしそれは全くの虚構。このケーキが初めて作られたのは1832年ですから、ウィーン会議の終わった1815年からすでに15年以上もたってからのことです。


チョコレートを滑らかにふんだんに塗るには、室温と湿度が決め手

ある晩、ベルヴェデーレ宮殿に近いメッテルニヒの館で、晩餐会が予定されていました。貴賓を迎えるにあたって、何か新しいデザートを作るようメッテルニヒから料理番にお達しがでました。しかしながら肝心の料理長は病気で仕事場にきていません。それである若い見習いがこの仕事を課せられることになります。「私の恥にならないような菓子を頼むぞ」との仰せに対し、他に何人もいる料理番のなかで、見習い2年目のフランツ・ザッハーがこの大役をまかされたということは、すでにその腕前には一目おかれていたのでしょう。まだ16歳の少年でしたが、このフランツが創意を凝らして仕上げたチョコレートケーキは、幸いにも客人に大好評。これが現在のザッハートルテの原型となりました。

フランツはその後、プレスブルクやブダペストで貴族の館や上流社交場の料理人として経験を積み、一財産を築きあげてウィーンに戻ってきます。店を開き、息子夫婦とともにトルテの創意工夫に励みますが、ザッハートルテが本格的に有名になるのは、フランツのあとの世代からでした。息子エドゥアルトも父親にならって料理人となり、ロンドンやパリで修業したあとウィーンでレストランを開いて大成功。宮廷御用達の称号を授与され、ついにはホテルを開業するに至ります。しかし49歳で他界、その後は未亡人のアンナが受け継ぎました。アンナは40年近くにわたってこのホテルを支配した伝説的人物で、その間にホテル・ザッハーの名声はゆるぎなきものになりました。しかし彼女の死後数年で、ホテルは倒産の憂き目に会います。
アンナの後は息子が継ぎましたが、ややこしいことにこの息子も父親と同じくエドゥアルト・ザッハーといいます。のちにデーメルとの有名な「ザッハートルテの争い」となる問題は、エドゥアルト(ジュニア)の時代に生じたようです。この件について書かれたものには一代目とニ代目のエドゥアルト・ザッハーを混同していたり、原因についてもいろいろな説があり、明確なことはわかりませんが、つなぎあわせるとだいたい次のようです。


ホテル・ザッハーの焼印がある木箱入り「オリジナル・ザッハートルテ」

さまざまなサイズの贈り物用

チョコレートの下地にはアプリコットジャムをたっぷり

チョコレートも一つ一つ手作業で塗られます

ザッハー一家は宮廷御用達菓子司デーメルと姻戚関係にありました。エドゥアルト(ジュニア)はホテルが倒産してからはデーメルで働き、そこでザッハートル テの製法を完成させます。そしてホテルを再興すると、ザッハートルテをホテルの客に出すだけでなく、市販も始めました。それが1950年代になって、ザッ ハートルテの商標と独占販売権をめぐり、デーメルから訴えられるはじまりとなります。裁判で7年間争った後、デーメルの方は「エドゥアルト・ザッハーのト ルテ」、ホテル・ザッハーの方は「オリジナル・ザッハートルテ」と呼ぶということで1963年に解決をみました。この訴訟はまた、ザッハートルテの名を一 層世に知らしめるのにも一役買ったようです。

そんな経緯のあったザッハートルテですが、他の製造元のものでも、チョコレート フォンダンでおおったチョコレートケーキは通常「ザッハートルテ」と呼ばれ、今日ではすっかり一般名詞化してしまいました。これに対してホテル・ザッハーでは特に「オリジナル」であることを強調し、「オリジナル・ザッハートルテ」を正式名称として、そのケーキの上にのせたチョコレートにも、木箱の焼印にも「本物」であることを顕示しています。180年近く経た今でも製法は一切秘密。36ある製造段階は包装にいたるまでひとつひとつすべて手作業です。ケーキの生地のあいだにアプリコットジャムをはさんで2段構えにし、さらに全体もアプリコットジャムでおおってから、フォンダンをかけてあり、ジャム自体も自家製。フォンダンには4種類のチョコレートが使われ、厚くなめらかに全体をおおうには、室内の温度や湿度が重要な決め手だそうです。たっぷり混ぜ込んだ砂糖のおかげで、国外にも配送ができるほど保存が効きます。3号サイズ(直径22cm)の場合は、16~18℃の温度で18日までもつとのこと。毎日約30人の職人が製造にあたり、年間120万個の卵、27トンのアプリコットジャム、80トンの砂糖、25トンのバター、小麦粉30トン、75トンのチョコレートをふんだんに使って、360,000個以上が作られています。

デーメルの「エドゥアルト・ザッハーのトルテ」の方は、のちに「デーメルのザッハートルテ」と改称され、現在に至っています。やはりチョコレート フォンダンの下にたっぷりアプリコットジャムが塗ってありますが、生地の間にジャムの層はありません。


ぜひとも「甘くない」ホイップクリームとコーヒーと一緒に

いずれにせよ、ザッハートルテは砂糖を入れないホイップクリームとコーヒーでいただくのがウィーン流。生クリームのホイップというと、日本では「甘い」というイメージですが、ウィーンではコーヒーに浮かべる時も、ケーキに添える時も、全く砂糖は入っていません。これでうまくケーキと甘さのバランスがとれるわけです。


(上)ホテル・ザッハー。カフェへの入口はホテルの左側(下)ホテルの右角にできたカフェとショップ

ホテル・ザッハーは国立オペラ座のすぐ裏手にあり、帝国時代から王族貴族が出入りし、数々の著名人を迎えてきた高級ホテル。『第三の男』など映画の舞台としてもよく使われています。カフェはホテルの入口とは別で、左手にあります。入ってすぐの部屋は皇帝などの肖像画が掛けられたサーモンピンクの壁とシャンデリアが豪華で明るい雰囲気。ショーケースにはホテル特製のケーキが並び、新鮮な果物やヨーグルト、ムースをつかったケーキや、生地を何層にも重ねたものなど、オリジナリティがあって見た目にもとても手が込んでいます。


(左)カフェ・ザッハーの内部。中央におかれたショーケースには特製ケーキが陳列。(右)メニュー左上の写真は、ザッハートルテを生んだフランツ・ザッハー


ノーブルなカフェですので、あまり普段着すぎる服装であれば、カフェ・ザッハーの左隣に入り口のあるザッハー シュトゥーベ(Sacher Stube)の方が気楽でしょう。カフェはいつ行っても待たなければならないほど混んでいますが、数年前から同じ通りの角にもう一つモダンなカフェとショップができました。ショップでは、「オリジナル・ザッハートルテ」やホテルのオリジナル・グッズを販売しています。ショップやカフェはそのほかに、オーストリア国内のザルツブルク、インスブルック、グラーツ、ウィーンの空港にもあります。オンラインショップから取り寄せることも可能です。本来コンディトライではないので、販売しているケーキは「オリジナル・ザッハートルテ」が主。その他のケーキはホテル・ザッハーのお客様のためとして作られているので、カフェでのティータイムやレストランでのデザートとしてお召し上がり下さい。


(上)新しい方のカフェはモダンでカジュアルな雰囲気。(下)ショップではオリジナル・ザッハートルテやホテルの特製グッズも販売。

イチゴとブランブルベリーをのせたタルト


(左)ウィーンではエキゾチックな果物、ほおずきをのせたケーキ。(右)何段も層を重ねたドボシュトルテ。


<ホテル・ザッハー>
Sacher Hotels Betriebsgesellschaft GmbH
Philharmonikerstraße 4
A-1010 Wien
Tel.: +43 (0)1 – 51 456 0
Fax: +43 (0)1 – 51 456 810
E-Mail: wien@sacher.com
Web: www.sacher.com

<営業時間>
Café Sacher: 毎日 08:00 – 24:00
Sacher Confiserie Wien(ショップ):毎日9:00 – 23:00


写真・文: © Seiko Suzuki
写真提供: Hotel Sacher Wien